もうすぐ40歳になる僕ですが、年長者からはこれからだねと言われるけれど、やはりそろそろ先を見据えなければと思います。 時間という物に今まで持っていたモノをこそぎ落とされていくのを日々実感します。 とうの昔に自分から捨てたモノもあり、知らない間に失っていったモノもあります。 僕の母親は認知症で様々な物が削られていってしまっていますが、それでも人を心配する気持ちとか、人の役に立ちたいという意思などが残っています。自分の名前もわからないのに、です。 これはなんだろうな、といつも考えながら見ています。 生まれ持った物なのか、それとも本人が大切にしてきたことなのか。 正直、母が認知症になるまで、その気質に気づいてすらいませんでした。 僕はただの自分の母親だと思っていたのでしょう。 そして認知症の母親となって、今までの何倍も一緒に時間を過ごす様になり、その源泉のような物にいつも触れています。 週に何時間の話ですが、母と過ごす時間はいつも示唆に富んでいます。 自分も多くの物が失われた時に何が残っているか、それを意識しながら今後も生きていこうと思います。
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