いろんな人の話を聞いているとその人その人に正しさがあります。
なので議論とは基本的には正しさ同士の戦いです。
ということで僕は誰かの話を聞く時にも正しいかどうかでは判断しません。
というか判断は基本的にせず「こういう考え方なのか〜」と俯瞰して聞いています。
ただ、最近あることに気がつきました。それは考え方とは成熟していくものなのだと。
そして、大体の人が同じような考え方の道筋を通っていきます。
そしてその出発点の考え方を一言で言うと「幼稚な考え方」です。
自分は損をしている。相手は得をしている。自分のことを認めて欲しい。自分の希望が通らないのなら相手を困らせてやろう。などです。
子供の欲求と言えばそれまでなんですが、その考えから抜け出せずに大人になっている人も多く見かけます。
だからと言ってその考えが間違っている訳でもなく、そのフェーズの中では正しさがあるのです。
ここから抜け出してもらうためには、その考え方でいったい何を得ることができたのか?
本当にあなたが得たいものはその考え方で得られるのか?ということに向き合ってもらう必要があります。これは本人にとってはなかなか酷な作業です。
今までのことを自分で全否定することにもなりかねません。ましてや大人になってからなら尚更です。
なので、僕みたいなやつが寄り添います。「大丈夫です。何も心配はありません。ただ着ていた洋服を着替えるようなものです」と。実際そうなのですが、それでも今まで一度も脱いだことのない鎧を脱ぐのは勇気がいることです。
でも心配はありません。その鎧だってあなたが途中で着たものです。
もともと僕らは裸で生まれてきたいのです。
みたいな感じで心を開いてくれると次のステップに進めます。
そうやってみんな考え方が成熟していくのです。
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